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asicro column

更新日:2007.2.5

電影つれづれ草
台湾映画『浮世光影』のこと

 秋の訪れとともに、いよいよ映画祭シーズンが始まった。その先鞭を切って、9月はじめ、千葉県幕張で開催された第2回アジア海洋映画祭に足を運んだ。

 海をテーマにしたアジア各国の6作品から、コンペティションで最優秀作品が選ばれる。今年のグランプリには、イラン映画『恋する魚』が選ばれた。港町の家庭料理店を舞台に、苦い過去を背負った中年の男女がかつての愛情を取り戻すまでを、フランス映画を思わせる人生のエスプリと、料理の鮮やかな色彩と熟練した語り口で見せる、非常に完成度の高い作品だった。

 しかし、今回のコラムではこの作品ではなく、同じくコンペティション参加作品の台湾映画『浮世光影』のことを取り上げてみたい。この映画は、台湾出身の彫刻家・画家である黄清呈(1912-1943)の生涯をテーマとしている。

 日本統治時代の台湾澎湖に生まれた黄清呈は、漢方薬局を営む父親の意向で、薬学を学ぶために日本に留学するが、幼い頃から絵の才能に優れていた彼は、東京美術学校で本格的に学ぶことになる。やがて、彫刻家・画家としての将来を嘱望されるようになるが、第2次大戦中の1943年、台湾へ帰る途中、乗船した高千穂丸がアメリカ潜水艦の攻撃によって沈没し、そのまま帰らぬ人となった。

 映画は、現代の台湾で、黄清呈が残した絵画の修復を依頼された修復師の若い女性が、彼の作品を通して、画家やそのモデルとなった女性たちの秘められた物語に魅せられ、絵画の修復に並行して、彼らの生きた過去の歴史を再構築しようとする二重構造を持った作品となっている。

 監督の黄玉珊は、映画の主人公である黄清?の姪にあたるが、戦後生まれの彼女は、もちろん生前の画家を直接に知っているわけではない。しかし彼の生涯をドキュメンタリー映画にしようと考え、10年ほど前から本格的に資料収集を始めたという。しかし途中で構想を変更し、1920年代から40年代に生きた画家の生涯を、現代の絵画修復師の女性の視点から再構成する劇映画として完成した。

 私は、寡聞にしてこの画家のことはまったく知らなかったので、31歳という短い生涯の中で100点もの作品を残したという創作の源泉がどこにあったのか、という興味をかきたてられたことも確かだが、それ以上に衝撃を受けたのは、彼の最後の航海となった高千穂丸事件のことである。

 タイタニック号の悲劇はあまりにも有名なのに、この高千穂丸の沈没のことを知っている人が極めて少ないのはなぜなのだろう。疑問に感じた私は、この映画を見た後、ネットで事件について検索してみたのだが、入手できる情報はごく限られたものであった。

 洗練されたデザインから「海の女王」と称された豪華客船、高千穂丸は、1943年3月16日に神戸港を出て台湾の基隆に向かう。19日、台湾近海まで航海したところで、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、乗客・乗組員1089名のうち844名の命が失われた。

 数少ない生存者の一人である田中秀文氏は、当時の状況を、後に「高千穂丸遭難記」として記録に残していて、ネット上でその一文を読むことができる。それによると、船の沈没で海を漂流していた人々は、当初、海も穏やかで台湾からも近かったことから、すぐに日本海軍の救援があると信じていたが、何時間待っても救助船は現れず、やがて海が荒れだし、風が強まると、一人また一人と海の中に姿を消していったという。

 別の記事には、海軍艦艇の長白山丸が救助指令を受けていたにもかかわらず、ついに出動しなかったという驚くべき記述も出てくる。当時の高松宮宣仁海軍大佐の日記には、この事件に触れて、喧嘩や相撲に明け暮れ、だらけきった海軍の現状を痛罵する書き込みがあるという。

 『浮世光影』でも、高千穂丸の生存者が軍当局に集められ、事件について厳しく口外を禁じられる場面が出てくる。この事件が知られていないのは、関係者らが証言を封じられてきたためということであるが、なぜに当局は必死に事件を隠そうとしたのだろうか?

  日本と台湾を結ぶ重要な定期航路の大型客船に護衛船もつけず、結果として多くの民間人の生命が失われたことが、戦局も厳しくなってきた折、戦意喪失につながると考えられたのか? あるいは救助にまつわる海軍の失態が明るみに出るのを恐れたのか? 私が読み得た限りでは、明快な理由はわからないままである。

 事件から60数年たって、事件は人々に知られることのないまま風化しようとしているが、歴史を故意に抹消しようとするのは、歴史を歪曲するのと同じくらいに罪深い行為ではないだろうか。タイタニック号が有名なのは、ノンフィクションや小説のほか、何度も映画化され、繰り返し語り継がれているからだろう。

 ドキュメンタリーであれ、劇映画であれ、映画にはそのような記憶の語り部としての役割が備わっている。『浮世光影』は、忘れてはいけない過去の記憶を、忘却の底から浮かび上がらせる貴重なフィルムであると思う。

●アジア海洋映画祭公式サイト:http://amffm.net/index.htm

●『浮世光影』作品データ
原題:南方紀事之浮世光影/The Strait Story(05/台湾/105分)
監督:黄玉珊(ホアン・ユーシャン)
出演:フレディ・リン、Yuki、チャン・チュンニン
公式サイト:http://www.straitstory.com.tw(繁体中国語)

●参考ウェブサイト
平和デジタルミュージアム
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19430319takatiho/takatiho.htm
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19450301tyouhakusan/tyouhakusan.htm
台湾週報
台湾映画「南方紀事之浮世光影」が東京で特別上映
「アジア海洋映画祭 イン 幕張」に台湾の映画監督が来日

(2006年9月18日)

text by イェン●プロフィール
大学で西洋の映画の講義などをするが、近頃では、東アジア映画(日本映画も含む)しか受け付けないような体質(?)になり、困っている。韓流にはハマっていない、と言いつつドラマ『大長今』(チャングムの誓い)に熱中。中国ドラマ『射[周鳥]英雄傳』も毎回楽しみで、目下ドラマ漬けの日々。

●back numbers
2007年2月5日
シェイクスピア劇の中国的翻案『夜宴』
2006年11月25日
アジア太平洋映画祭
2006年9月18日
台湾映画『浮世光影』のこと
2006年7月29日
スタンリー・クワンの『男生女相』再見
2006年6月19日
中国映画製作の盛況と「映画
監督チェン・カイコーの世界」

2006年4月15日
映画『東方不敗』を読みとく
(後編)

2006年3月10日
映画『東方不敗』を読みとく
(前編)

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−台湾文学初心者の覚え書き

2005年9月25日
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2005年8月22日
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2005年7月2日
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2005年5月30日
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オムニバス映画の可能性
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製作から23年後の
『烈火青春』公開に寄せて

2005年2月21日
ウォン・カーウァイと香港文化
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2005年1月22日
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2004年12月17日
日本と香港映画の架け橋
−キャメラマン、西本正

2004年11月24日
ふたりのヨシコ
−李香蘭と川島芳子

2004年10月13日
香港インディーズへの期待
東京国際映画祭「アジアの風」に寄せて
2004年9月14日
60年代の日本映画とアジア
2004年8月11日
『七人の侍』大比較!
2004年7月11日
香港−日本の越境フィルム
2004年6月10日
カンヌで「アジアの風」は吹いたけれど
2004年5月10日
男たちの聖域
2004年4月4日
「四海」を駆け巡るジョン・ウー映画
2004年3月6日
魅惑の4月 ―香港国際電影節





●筆者関連本情報:
『男たちの絆、アジア映画
 ホモソーシャルな欲望』
(四方田犬彦・斎藤綾子共編)
 4月刊行 平凡社/2525円

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